来歴

俗称:沼田の寺

創立:正中2年(1325年)

開基:蓮秀日寿聖人

由緒・沿革

当山は大本山鷲山寺御開山日弁聖人の高弟蓮秀日寿聖人により正中二年(1325)に開創されました。

鷲山寺第十世日進聖人は、田間長久寺より檀林を当山に移し大沼田檀林としました。

鷲山寺第十三世日乾聖人(檀林中興開基)は、当檀林を関東勝劣派(弁門・什門・陣門)の常談所と定められました。

境内の周囲には囲堀を廻らし、講堂をはじめ本院、恵正院・寛照坊・大仙坊・鬼子母神堂・財弁天・番神堂・八幡宮・乾師堂・能化寮・伴頭寮・所化寮・賄寮等の施設を有し、多い時には百余名の学僧が修行していたことが記録に残っています。

徳川二代将軍秀忠公のとき、境内南北百二十間、東西七十間が御朱印地として下賜されました。

宝暦五年(1755)の大暴風雨により大部分の堂宇が倒壊、天明五年(1785)、妙経寺本堂と兼用共有とする講堂を再建しましたが、安政(1854~)の頃より衰退の一途をたどり、明治三年に本院を妙経寺庫裡として売却、同七年に至り共有する講堂を妙経寺に譲渡し、三百余年続いた大沼田檀林も終末の幕を降ろしました。

現在、当山には、盛観を極めた当時の檀林を偲ぶものとして、講堂(妙経寺本堂)、八幡宮修行僧の使用した垢離井戸、そして日乾上人の記念碑が現存しています。

大本山鷲山寺御開山日弁大正師尊像

日蓮
当山開基蓮秀日寿聖人の師日弁聖人は、幼い時より神童と呼ばれ富士山麓の学問寺「龍泉寺」に入り、若くして学頭を勤めていました。

後に日蓮大聖人の教化をうけ弟子になり、その命を受け「鷲山寺」を創建されました。

そして折伏弘通の布教を展開し二十数ヶ寺を創立、改宗されました。

法華宗の大本山

妙経寺は茂原市鷲巣「大本山鷲山寺」の末寺ですが、法華宗には4つのご本山がありますので紹介いたします。

大本山光長寺

  • 開創:建治2年(1276)
  • 開基:日蓮聖人
  • 同時ニ祖:日春・日法聖人
  • 住所:静岡県沼津市岡宮1055

日法聖人は、幼少より宗祖のもとに御仕えし、日春聖人は、元天台宗の高僧ですが宗祖の御弟子となりましたので<同時ニ祖(どうじにそ)>と申します。

宗祖御真筆御本尊では最大二十八紙大曼陀羅等の宝物があります。

大本山鷲山寺

  • 開創:建治3年(1277)
  • 開基:日蓮聖人
  • 開山:日弁聖人
  • 住所:千葉県茂原市鷲巣48

小松原法難の後、日蓮上人は一夏九旬(いちげくじゅん、約90日)ご滞在されました。

「日蓮大聖人御尊像」(伝 光長寺 日法聖人御作)、宗祖御真筆御本尊の宝物があります。

大本山本能寺

  • 開創:応永22年(1415)
  • 開基:日隆聖人
  • 住所:京都市中京区寺通御池下る

本能寺は織田信長の名とともに知られていますが、当初は「本応寺」という寺号でした。

後の永亭5年(1433)名を「本能寺」と改めました。

塔頭が7院あります。

伝藤原行成筆書物(国宝)や銅鏡(重要文化財)などの宝物があります。

大本山本興寺

  • 開創:応永27年(1420)
  • 開山:日隆聖人
  • 住所:兵庫県尼崎市開明町3-13

尼崎城主である細川満元の帰依を得て開創されました。

塔頭が6院あります。

本能寺が伝道の中心地であったのに対し、本興寺は教学の中心地であり、勧学院という教育機関が設置されました。(現在の興隆学林専門学校)

国指定重要文化財は日蓮大聖人の御所持の太刀「数珠丸」、御開山 日隆聖人御木像、開山堂、方丈、三光堂の五点あります。

 

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運営

法華宗本門流 妙経寺

千葉県東金市大沼田457

電話 0475-55-2201

信楽会

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